高橋 健(フットサル) 新たな地、ボルクバレッド北九州での挑戦

「僕、子どもたちの前では宇宙人って設定です」。

その一言で彼のキャラクター像が出来上がってすぐに好きになってしまった。お話を聞いているうちにいろんな面が見えてきて、話し終えた後にはもっと好きになっていた。

今回、オンラインでのインタビューに応じてくれたのは『娘が好きすぎるフットサル選手』と自称する(本当にこの名前でTwitterをされていて、可愛すぎる娘さんの写真も拝見できるので是非ご覧になっていただきたい!)プロフットサル選手の高橋健さん。そんな彼が今季から何よりも大切な家族を残して単身九州に移籍。まさに『新たな挑戦』の真っ最中である。親の反対を押し切って始めたサッカー。幼少期からスポーツの機会には恵まれており、スイミングスクールに通いながら、サッカーと野球をして遊んでいたという高橋選手。

「最初は遊びだったんですけど、体育の授業でサッカーをやってた時に友だちに『めっちゃ上手いやん』って言われて、勝手に地域の少年団に入りました」。

サッカーを始めた理由はそんな些細なものだった。そのまま中学も地元のクラブチームに入り、高校では部活動としてサッカーを続けていた。

「サッカーの先が見えなくなっていた」。

高橋選手は高2の冬にサッカーの自主練として、部のチームメイトの兄が所属していたフットサルチームに通い始める。サッカーの練習でもミニゲームというメニューが好きだった高橋選手は徐々にフットサルの魅力にはまっていった。サッカーに対してどこか中途半端になってしまっていた高橋選手は高3、あと数ヶ月で引退というタイミングで思い切って部活動を辞め、フットサルに転向することを決意した。

とはいえ当時はまだFリーグもない時代。はじめは遊び感覚だったというが、大学1年の頃に所属していたチームが県リーグの1部に昇格したことをきっかけに本格的にフットサルに取り組み始めた。

フットサルで外国に行きたい!

ずっと抱えていた夢を叶えるため、またまた両親の反対を押し切って大学を1年休学。お金を貯めるという名目もあったが、同じ時期に関東2部リーグのチームに移籍した高橋選手はフットサル漬けの生活を送りたいという気持ちが強かったという。

「自分のレベルじゃあ、大学に行ってバイトをしながらでは試合に出られないと思ったんです。そんな中途半端にはやりたくなかった」。

そうして1年、フットサル中心の生活を送り自信をつけた高橋選手は復学と同時に関東1部のチームへ移籍。そのチームはFリーグの創設に携わった所謂レジェンドと呼ばれるようなメンバーが集まるチーム。まだまだ若造だったから泣きながら必死に食らいついてましたよ、と高橋選手は笑いながら語った。

就活の時期も迫っていたその当時、アルバイトをしていたフットサルコートの店長の伝手で、日本人で初めて中国リーグでプロになった選手と知り合う。日本でプロになるのは難しいだろうと感じていた高橋選手はそのまま2、3週間後には中国入り、中国でプロになるという道を決めた。

そこから2シーズンを中国で過ごし、実力と共に自信をつけた高橋選手は満を持して帰国、日本でFリーガーとなる。湘南ベルマーレ、YSCC横浜を経て今季、遠く離れた地でボルクバレット北九州の一員として、31歳、プロ8年目のシーズンを迎える。

今回の移籍先は中国リーグ時代のオーストラリア遠征中に出会った監督のチーム。家族と離れての生活に不安もあるが、それよりも楽しみが勝っていると生き生きと話してくれた。

「中国行きを決めた時もですが、原点に帰れば両親の反対を押し切ってサッカーを始めた時から、始めれば何とかなるという精神や、なりたいものへの憧れが常に先行していました。家族に迷惑をかけてしまうけれど、こんな年齢だからこそやれるときにやりたいなと。基本的に自由なんですよね(笑)」。

根本的なネガティブ精神

そんなチャレンジングな一面とは裏腹に、根本的にはネガティブな人間だという高橋選手。

「はじめに所属していた湘南ベルマーレでの最後の年、膝の怪我があって自ら退団を申し出たんです。その退団があって今の自分がある、と今となっては思いますが、当時はその決断を後悔していました。今回の退団では引退が頭をよぎりましたが、あの時の後悔を思い出して。自分みたいなスーパースターじゃない選手だからこそ、食らいついてプロでプレーし続ける姿を自分の娘や自分が教えている子どもたちにも見せていく責任があると思っています」。

プロの選手としての活躍と並行して、育成にも力を入れている高橋選手。指導することでいろんなメリットがあると話してくれた。

「言葉にすることで自分の考えを客観視出来るし、人の癖を観察するのが上手くなって自分のプレーにも活かせてるんです。単純にフットサルのことを考える時間が増えますし、教えることで自分の行動言動、プレーに責任が生まれるのも大きいです。僕も得るものがすごく大きくてwin-winの関係を築けていますね」。

現役選手が語るフットサルの魅力

昨シーズンからAbemaTVで全試合配信が始まったFリーグ。とはいえサッカーに比べればまだまだマイナースポーツと言われる立ち位置にあるフットサルだが、サッカー、フットサルどちらも経験した上で高橋選手が感じるフットサルの魅力を聞かせてもらった。

コートが狭いからこそのバチバチ感!

サッカーコートは最大120m×75mと他のコート競技に比べてもかなり大きい。対してフットサルは最大でも42m×25mと面積にするとサッカーの9分の1程度。だからこそワンプレーワンプレーが短く得点に繋がる大事な局面も次々にやってくる。一瞬の油断が失点に繋がるのでひとつひとつの動作に対してより素早い判断スピードが要求される。

「コートが狭い分、選手同士の距離も観客と選手の距離も近い。表情の変化も戦況の変化も間近で感じられますし、とにかくスリルがすごいんですよ」。

「確かにまだまだマイナースポーツですけど、プレイヤーがそんな風に思ってたら、いつまでもマイナーのまま。出会う機会が少ないだけなんです。フットサルの迫力、スリルは観るよりやる方が感じられる。出会ってしまえば、観たい、よりやりたい、と思う人の方が多いと思います」。

喜怒哀楽を表現できる人になってほしい。

フットサル界を牽引する選手であり、普及、育成にも力を入れている高橋選手だが意外にもプロを育てたいという思いはないと言う。

「成長する自分を感じることはとても大事で、それは経験してほしいと思いますが、それはフットサルじゃなくてもいい。何かに一生懸命取り組んでいろんな人と関わることで喜怒哀楽をちゃんと表に出せるようになってほしい。それを伝えるのに僕はフットサルを手段としているだけです」。

幼少期から厳しい環境で自分を磨いてきた高橋選手は、今の教育は『悪い意味で』優しさが先行していると感じている。

「もちろん体罰は良くないですが、コンプライアンスを気にするあまり教える側の遠慮が子どもたちに伝わって、子どもたちも本気で感情をぶつけられてないような気がするんです」

そんな高橋選手のmuchuのモットーは『自分自身も本気で遊び倒す』ことだ。

「フットサルを通して楽しいとか、悔しいといった感情を経験して、しっかり表現してほしい。感情を表現することが意思を表現することに繋がっていく。そうすれば何かを選択するときにちゃんと自分の意志で選べる人になっていくと思います」。

「活躍する姿、結果を見せること」

このコロナ禍の中で遠い九州のチームへの移籍。最後に『新たな挑戦』への覚悟を聞いた。

「家族には本当に迷惑をかけることになる、そこに対する申し訳ない気持ちはもちろんあります。それは言葉で伝えながら、あとは画面越しにはなりますが、頑張っている姿、活躍する姿を見せられるように。教えてきた子どもたちが『こんなすごい選手が先生だったんだぞ』と友だちに自慢できるような結果を残したいです。基本人見知りなので、初日は緊張するでしょうけど、ありがたいことにこれまでもいろんなチームを経験させてもらっているので、どんなチームでも、どんなポジションでもやっていく自信はあります。現役でやってきたからこそ出会えた人たちがたくさんいるので、出来る限り、現役でいることには拘ってやっていきたいと思っています」。

画面越しでも伝わる力強く晴れやかな笑顔でそう語ってくれた。

自由で強気なチャレンジ精神で道を切り開いてきたように見えた彼には、ネガティブ精神によってひとつひとつ地道に、着実に積み重ねてきた自信があった。大胆さと堅実さを兼ね備えた高橋選手は誰よりも強く、柔軟にプロという茨の道を歩んでいけるように感じた。

<取材・文>原田咲子(Sakiko Harada) 大阪大学外国語学部アラビア語専攻卒業。兄の影響から中、高ではソフトボール部に所属、大学からフライングディスクをはじめる。ライター、雑誌編集者を目指し2020年上京。現在、一般社団法人MUCHUでフライングディスクのコーチをしながら同法人のアスリート・アーティストの普段見えない姿を表現する「アスリート・アーティスト応援!」コーナーを担当。「主観主義上等」をモットーに、それぞれの人間の経験や個性、それに基づく思考を引き出し、魅力的に語る記事を目指している。