KERA(大道芸)子どもたちの楽しみをこれ以上奪わせないためにクラウドファンディングに挑戦

「空気が変わる」

スポーツ漫画やテレビの向こうではよくあるそれが日常では(緊張感や気まずい空気以外では)なかなか起きないことだと、中高大、10年間の青春の大部分をスポーツに費やした私はよく知っていた。

ましてそれを意図的に、こんな約8畳の無機質な部屋で、ウォーミングアップという名のパフォーマンスで出来る人がいたとは。

それが世界を舞台に活躍する大道芸人KERAさんだ。

「最初から諦めていたので憧れも我慢もなかった」。

生まれてすぐに心臓病を患い、生まれた時から死が隣にあった、と淡々と語るKERAさん。そんな彼にとって運動が出来ないことは当たり前。体力もなく同級生と遊ぶことすら困難だったKERAさんは、同じマンションに住む年下の子と遊ぶだけという狭い世界で育った。

そんなKERAさんは中学1年生の夏に余命宣告を受ける。

20歳まで生きられない」。

「それならもうやったことないこと全部やってみよう」、そんな諦めの気持ちから陸上競技を始め、両親から自転車をもらい、初めて体を動かすことの楽しさを知る。この自転車との出会いがKERAさんの人生を変えるきっかけとなった。 

高校に入り本格的に自転車競技を始めたKERAさんは大学になり自転車での日本縦断とカナダ横断に挑戦する。これも残りの少ない人生、やりたいことはすべてやろうという気持ちだったと言う。このカナダ横断の最中にあの9.11のテロが起こる。KERAさんがいたトロントではデモ行進のパフォーマンスが行われていた。それがKERAさんとダンスの出会いだった。

「自転車で通り過ぎる3秒間、視界に入ったダンスが忘れられなかった」。

そんな些細なきっかけから20歳でダンスを始めたKERAさん。このとき、KERAさんを苦しめ続けた心臓病は奇跡的に快方に向かい完治にまで至っていた。(とはいえ私はこの病気があったからこそ今のKERAさんがあると言えると思ったりもしたのだが。)

「本当に興味の赴くままに、趣味のつもりで始めました。プロになろうというつもりももちろんなかったので、新しく始めることに対して壁は感じなかったですね」。

本職のカメラの仕事の合間にあくまで趣味としてダンスを続けていたKERAさんは26歳の時に練習仲間に紹介されたダンスのコンテストで優勝する。

「周りのみんなは上手くなろうという気持ちが強くて技術を磨いていた。僕は伝えるということを意識していたんです」。

KERAさんのパフォーマンスには流れがあって1本の映画を観ているようだったと評された。 

それからディズニーランド(オリエンタルランド)からのオファーを皮切りに、仕事として本格的にパフォーマンス活動をするようになり、数々の大きな舞台を経験。

そんな輝かしい経歴を積み上げてもなお、路上でのパフォーマンス、大道芸に拘るのは理由があると言う。

「エンターテイメントは通勤電車に乗って働く人たちを元気にするためにある」。

エンターテイメントは社会が滞りなくまわっているからこそ育つもの。そして社会をまわしているのは、大きなパーティーに出席出来る人や豪華な舞台にお金を払える人ではなく、駅前を通って一生懸命働いている人たちなのだ。その人たちに元気になってもらうためにパフォーマンスをすることで社会に貢献しているというやりがいを感じるのだそう。

「無名でいることで実力の世界にいられる」。

メディアに出てしまうと実力に関係なく「テレビで観たことある!」と、話題性だけで野次馬的に人が集まってしまう。しかし仮面を被った無名のパフォーマーのもとに集まってくれるのは本当に興味がある人。名声ではなく自分のパフォーマンスの魅力だけで人を集めたという自信になるし、勉強にもなる。実力を測るには路上が一番だとKERAさんは考えている。

「目の前のお客さんとのコミュニケーションがあってこそ、自分のパフォーマンスが生きる」。

ある年の2月の路上パフォーマンス、気温は4度。そんな極寒の日の観客の中に半袖半ズボンの男の子がいた。自由自在な振りの中でその男の子と目を合わせながら、二の腕を抱いて上下にさする典型的な「寒~い」の動作。他の観客も当然、KERAさんの視線を辿ってその男の子を見つける。「うわ、寒くないの?」、「わ~、学年に1人はいるよね、ああいう子!」と大盛り上がり。そのまま男の子の隣にいたお母さんとも目配せをして男の子を舞台に迎え入れパフォーマンスに参加してもらうことになった。お客さんを巻き込んだパフォーマンスでその場の一体感は最高潮に!

型に嵌った所謂『格好いい』パフォーマンスではなく、その場の偶然から生まれる『楽しい』パフォーマンスこそがKERAさんの魅力なのだ。

「自分で自分を励ます力が足りていない」。

路上パフォーマンスをしている中でKERAさんはある疑問を持った。

「どうしてみんなこんなに元気がないんだろう」。

そこで気付いたのが、自分が持っている『自分自身を励ます力』の大切さだった。

「明日死ぬかもしれない。でも大丈夫、どうせいつかみんな死ぬんだ。そんな怖いことじゃない」。

幼少期から常に死と向き合いながら生きてきたKERAさんは毎日自分で自分を励ましていたと言う。自分自身の死、同じ病室の友だちの死。死という大きなものを身近に感じ、身近な人の死の後に空を見て、空を見られるということにも有難みを感じることが出来たKERAさんは、誰よりも感受性の高い子どもだった。それが今、『表現する』ことに繋がっているのだと言う。

「『表現する』というアウトプットは『感じる』というインプットのレスポンス。何も受け取っていないゼロの状態からは表現は生まれないんです」。

感受性が足りていないということは社会問題にも繋がっているとKERAさんは言う。

「夢がない、やりたいことがないというのは完全に心の扉が閉まってしまっている状態。何かをやりたいという思いが生まれる瞬間、皆それぞれにその何かに対して大きな感動があったはずです」。

何かを好きだと感じている状態は特に感受性、心の扉が全開の状態で、人の表現力も豊かになるとき。感受性を育てることこそが表現力を育てることに直結する、これがKERAさん流だ。

「人に伝えることにおいてアナログな部分はこれからも必ず残っていく」。

「表現が試されている」。

コロナという脅威に晒され人に会うという何気ない日常を極端に制限されたこの1年。「様々なデジタルコミュニケーションが発達し、オンライン〇〇が流行り、余儀なくされたこの状況がより表現力の重要性を決定的なものにしたと思います。皆が新しいコミュニケーションに戸惑い、元気のない今こそ自分の活動が求められていると感じました」とKERAさん。

確かにオンラインで賄えることが加速度的に増えた1年ではあったが、それは補完ではなかった。むしろいざとなれば直接、という選択肢があった普段では気付かなかった不便さに直面した人も多かったのではないだろうか。画面越しでしか接することが出来なかった2か月を経て、緊急事態宣言解除。離れた家族や友人、先生や仕事仲間と再会したときの感動は皆さんもそれぞれに味わっているはず。

何かを感じる、興味を持つ。興味を持つことでそれについて調べたり、人に伝えたりという能動的な行動につながっていく。

「その過程を自分のパフォーマンスをきっかけに経験してみてほしい。ほんの少し興味を持ってくれたら、その興味に応える自信があります」と不敵な笑みを浮かべるKERAさん。

「感受性も表現力もいくつになっても育てることが出来る」。

何かに感銘を受けて、それに熱中することは大人になってからでも遅くない。その対象がスポーツや運動でなくても構わないからだ。もちろん体力やエネルギーが有り余っている子どものときにしか出来ないことは少なからずあり、子どもたちには子どもの間に今しかできない自分の体を使った表現を楽しんでもらう。けれども大人の感受性を育てることもとても重要だとKERAさんは考えている。子どもを育てるのは大人。その大人が問題を抱えたままでは子どもにその問題が受け継がれてしまう。だからこそKERAさんは大人に伝えるための講演会という形での活動にも力を入れている。

子どもたちに伝えたい、お金で買えないものの大切さ

いろんな日常が非日常になり、これまでのあらゆる普通が制限されてしまったこのコロナ禍。自分の中の優先順位がはっきりしていく中で、お金というものに対してすごく無頓着になったと言う。

1番子どもたちに伝えたいものは、お金で買えないものの大切さ。もちろん最低限のお金は必要だけれど、お金はあればあるだけなくなっていき、お金で買えるものも同じように消費されていく。今自分の手元に残っているものはお金にならないものばかりなんです」。

家庭の事情もあり常にお金がない生活を送ってきたというKERAさん。確かに身に着けているものに世界を股に掛けるパフォーマーの贅沢さは見られなかった。それでも鳴り出した音楽と共に突然動き出したあの瞬間のオーラ、そしてお話を通して私が感じたKERAさんという人間の自信や人柄、人とのつながりはとても愛に溢れた豊かなものであった。KERAさんがこれまでの人生で積み重ねてきた経験、パフォーマンスの技術、そして表現力、人間力。これらは確かにお金で買えないもの。その価値を自身で体現しているのがKERAさんなのだ。  

表現とはコミュニケーションそのもの、日本人はもっと素晴らしい。

「日本語は他言語に比べ表現が多岐に渡り複雑、つまり優れていると言えます。ここに言葉以外の表現力が乗っかれば、日本人は最強だと思うんです」。

世界を経験したKERAさんによる日本子ども改造化計画、延いては日本人最強化計画。人生の半分をパフォーマンスとともに過ごしてきたKERAさんの戦いはまだまだ終わらないようだ。

新型コロナウイルスの影響を受け、17年に渡るパフォーマー生活の中でKERAさんは初めて『活動が出来ない』という危機に直面している。そんな中でもKERAさんは政府のエンターテイメントやカルチャーへの対応に怒りはないと言う。

「日本は世界でも類を見ない文化大国。残るべき文化はわざわざ外部の人間、興味のない人からの支援などなくても残ってきた。だから国が支援してくれるのを待っているようでは生き残れない、それでいいんです。とても幸せな国ですよ」。

その文化に携わる当事者が自分たちの文化を守るために考えて、行動して、発信する。それが素晴らしい、後世に残すべき文化であれば、当事者でない人がファンという名の関係者になり、支援の輪は広がっていく。

「僕は文化の淘汰はあってしかるべきだと思っていますし、淘汰されないように当事者の第一線として活動し続けますよ。」

その大道芸を守る活動のひとつとしてKERAさんはクラウドファンディングを立ち上げた。KERAさんが目指すのは「小学校での表現教育の公演の実現」だ。

かけがえのない子どもたちの時間をコロナなんかに負けて無駄にしてはいけない。コロナ禍で日本全体が元気のない今、一番に子どもたちの笑顔を守りたい。子どもたちが自分のパフォーマンスを受け取って元気になってくれたら、そしてそれを表現してくれれば、大人にもきっとその元気が伝わって、広がっていく。

「子どもたちのために活動することは日本のために活動すること」。

KERAさんの活動は循環する。国の宝である子どもたちを通して全世代に作用し、日本全体の活気のもとを生み出していく。この記事を通してKERAさん自身に興味を持ち、KERAさんの活動を支援するファンが増えることを願うばかりだ。

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大道芸人KERAによるクラウドファンディングへのチャレンジ 応援よろしくお願いします!

<取材・文>原田咲子(Sakiko Harada) 大阪大学外国語学部アラビア語専攻卒業。兄の影響から中、高ではソフトボール部に所属、大学からフライングディスクをはじめる。ライター、雑誌編集者を目指し2020年上京。現在、一般社団法人MUCHUでフライングディスクのコーチをしながら同法人のアスリート・アーティストの普段見えない姿を表現する「アスリート・アーティスト応援!」コーナーを担当。「主観主義上等」をモットーに、それぞれの人間の経験や個性、それに基づく思考を引き出し、魅力的に語る記事を目指している。